ゴミにすらなれない文章を書いては、自分しか見れないブログに更新するという悪趣味を持っている。
何とも言い難く気色の悪いことか。
ただ時たまこのように公開する。更なる気色の悪さに、きっと後で顔を歪めると知っているのに。
死にたいという言葉を私は絶対に使いたくない。両親や兄、友達の顔がどうしてもチラつくからである。ただあの子がこの言葉を好んでるかのように使う。
また、死にたいと言う人を見ると、どうせ子供の頃には血の繋がった親に愛されて育った癖になどと卑屈に見てしまう。
愛を受けて育った子供は人を愛する事が出来ると聞いた事がある。それなら愛されず育った子供にも着眼してくれ。ごみくずと呼ばれ、顔の写った写真を目の前で破られ、毎日ひとりぼっちで過ごした子供にも。人と会わせてもらえず、毎日叩かれた子供にも。怪我を負って血を出しても病院に連れて行ってもらう事なく唯一貰えた雑巾で血を止めた子供にも。
こんなんでも生きているんだから。見て。それだけでいいから。
両親と違う宗教。両親と違う性格。両親と違う価値観。複雑な戸籍。
人間ではなくキメラなんだ。だから人が怖いんだ。自分と違うから。