夏と冬の日記

日記とか諸々の毒吐き。

熱出ると少林サッカー見たくなる。

38.2℃

熱に浮かされた頭で散文を。

 

こんなにも簡単に風邪を引くのは生まれつき脾臓がほとんど機能を成していないから。

免疫力は雑魚。ワクチン類には大抵体が対応できないから打てない。

風邪をひきやすいなら薬を飲めばいいじゃないかと当然思う。

ただ私には薬物に対するアレルギーも大量にある。

ああ頭だけじゃ無く全身がだるい。動きたくないけどここにいたくない。

 

人よりも数奇な人生を送っている。と思う。

目次なんかにしてみようか。

・父と祖母の離縁

・私の誕生と共に始まった入院生活と手術

・祖母との養子縁組

・虐待、育児放棄、監禁

・7歳で実の家族と家族になる

・7歳にしてやっと世界を学ぶ

 

これ以降はまあまあ普通の人生。本にするとしたら7歳までで十分だな。

21年生きて祖母と暮らしたのは7年だけだが、私の核をあの時代に作られたことは今現在にも大きく影響していて、

今はもう克服しかけている軽度の先端恐怖症、重度の雷恐怖症はその頃に作られた物だ。

目に見えるもので言えば、体には幾つかの手術痕と、虐待児特有の模様がしつこく存在する。

そして皮肉なことに、実の家族のもとへ戻った直後から通っていた精神科において、沢山絵を褒められたことが、今でも絵を描くのが好きな理由だったりする。

 

祖母に対する想いはもはや偶像崇拝の一種であったと思う。

今は違う。

高校では自分の幼少期のことを隠していたが、今はもうひた隠しにはしていない。

なんとなく私の事情を知っている友人や後輩が恐る恐る質問してくることがあるけれど、そこまで気遣わなくていいのになとすら思う。

 

まあ気遣うのも無理ないよな。ウイスキーでも入れてずかずか聞いてくださいや。

 

とここまで書いて熱測ると

38.6℃

そりゃ画面もブレて見える訳だに。

少林サッカー見て寝よ。

曲を聴く

2ヶ月ぶりの登校日。胸がざわざわする。

少し嫌な物で、理由ははっきりしないから対処のしようもない。

 

教室について席に座ってこの居心地の悪さの理由が少しずつわかってくるあの感覚もものすごく不愉快だ。乾いた空気で鼻が痛い。

 

急いでヘッドフォンをつける。2ヶ月前までと何も変わらずに。

早くなった自分の心臓を正常に戻すために、自分の好きな曲は聞かない。好きな人が好きで歌っていた曲を聴く。

 

母のスピッツ。友人のジュディマリ

そしてあの人が歌うあの曲。

彼が歌うときの少し変で大好きな癖を思い出して少し暖かくなる。

 

 

“あなたの鼻歌でサビまで覚えたあの曲の

歌詞とタイトルは何かな

乾いた海風で私の鼻歌が辺りを

今でもタイトルを知らずに”

 

 

 

2023-3-07

ゴミにすらなれない文章を書いては、自分しか見れないブログに更新するという悪趣味を持っている。

何とも言い難く気色の悪いことか。

ただ時たまこのように公開する。更なる気色の悪さに、きっと後で顔を歪めると知っているのに。

 

死にたいという言葉を私は絶対に使いたくない。両親や兄、友達の顔がどうしてもチラつくからである。ただあの子がこの言葉を好んでるかのように使う。

また、死にたいと言う人を見ると、どうせ子供の頃には血の繋がった親に愛されて育った癖になどと卑屈に見てしまう。

愛を受けて育った子供は人を愛する事が出来ると聞いた事がある。それなら愛されず育った子供にも着眼してくれ。ごみくずと呼ばれ、顔の写った写真を目の前で破られ、毎日ひとりぼっちで過ごした子供にも。人と会わせてもらえず、毎日叩かれた子供にも。怪我を負って血を出しても病院に連れて行ってもらう事なく唯一貰えた雑巾で血を止めた子供にも。

こんなんでも生きているんだから。見て。それだけでいいから。

 

両親と違う宗教。両親と違う性格。両親と違う価値観。複雑な戸籍。

 

人間ではなくキメラなんだ。だから人が怖いんだ。自分と違うから。

 

電車 破壊衝動

嫌いな電車に久々に乗る。

外は雨が降っていて、午前10時という出歩きたく無い時間にしては少し暗くて生きやすい。

車窓に映るのはいつもより少し三白眼具合の増した目。一瞬目があって鳥肌が立って目を逸らす。

両親のどちらも持たないこの目。不意に目が合うと文字にできない怖さがある。

 

ここにあなたがいたら

この三白眼気味の目も、少しは大人に怒られないような優しい目になるのにな

窓の外睨まずに済むのにな

 

普通から逸脱した心の一部に特有の噛み癖が出ても、それを止めて包帯巻いてくれんのかな

 

あなたが居ないことで泣く事はもう無くなったけど、12年たった今でも思い出して考え込むことがある。

 

やっぱりあなたがいないと心がぐずって小刻みに震えてる気がする。

 

もしあなたが今もまだここにいる世界線だったら、あの日々以上にあなたの事を。

刺し違えてしまうことがあってもあなたを苦しめる全てを殺せたらいい。

 

正義感が強く平和主義であるあなたの見合う世界になるまで戦争も略奪も暴力も無くなればいい。それであなたが帰ってくればいい。

あなただけでいい。

 

12年かけてあなたが居ない世界で捻じ曲がって汚れた私を見て初めて怒ってほしい。

鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす

 

最近どうもこの諺がチラついては私をイライラさせる。

鳴くことも光ることもできない人間が1番哀れだとそう捉えてしまう、捻じ曲がった偏屈な人間の書く散文。

 

どれだけ努力しようが、相手に気づかれなければ、至極当然その努力は無意味と化す。

簡単に言えば、人に慣れていて、他人に近づくことが出来、話すことが出来る人間がまあ人目により多くつくわけで、そう言う人がモテるわけで。

そういう人を世間的にも、私個人も「軽い人」と銘うつ。

 

そこには、そんな人の方が恋愛はうまくいくし、生物として優れているのかもしれないという、自分を落ち着かせるための半透明な偽善、

それと、どうか軽い人同士でくっついてくれという鉛色の嫌悪を含んだ嫉妬があったりする。

 

つい最近まで片思いしていた。2年くらい。そんなんでも終わりは案外あっさりだった。

振られたわけでも、相手に彼女ができたわけでも、好きな人がいたというわけでもない。

詳しく書くのもだるい。私からしたらそれなりの理由があってそんな簡単にやーめたってわけじゃないけど、後には引いてない。

 

多分好きだったことは一生相手には言わない。仲良い友達が丁度いいなって気づけて良かった。

鳴かずとも身なんか焦がすか。

 

こんだけだらだらと駄文を打っているが要するには好きな人が欲しいねの一文で終われる。

言霊と幻痛 2/08

言葉は呪いだとか、言霊だとか、そういったものを小さい頃から人よりも信じていたように感じる。

だから、冗談でも死ねという言葉を声に出して言いたくない。

その言葉を打っている今も少し鳥肌が立つ。

6歳までほとんど人と話さない環境で育ったが故に生じた話す事への不慣れと少しの畏怖。

その行為に、かなり神経を注ぐ。

話すことは好きなはずなのに、時々出所の知れない疑心がチラつく。

 

外の世界には攻撃的な言葉が多い。

不意に顔を上げると、目も耳も塞ぎたくなるような瞬間で溢れていることに気づく。

たとえその棘が冗談でも、自分に向けられていなくても、

何故だろう無いはずの脾臓に幻痛のようなものがある。

だから応急処置的にヘッドフォンで塞ぎ、目を瞑る。

なんだか今日も痛むな。

 

家にいれば、自分と、それから自分の好きな本の言葉だけしかない。

テレビは有るけど付けない。電気すら付けない。

灯はスタンドライトだけ。昔から物置とかクローゼットの中とか暗くて落ち着く場所が好きだ。

 

家に閉じ籠っている時、世界は黙る。

電気を消している間、世界は眠っている。

そんな感覚、否ただの思い込みにより、初めて安心感を持つ。

言葉を話さないロイと昼盲のような自分だけ。

 

感傷的な訳ではなく、無感情に近い。

いや、なんだか違う。

攻撃的な有象無象から一番遠いところに逃げたい。

焦燥感?これも違う。そういった速度のあるものでもない。

ただ暖かく感じる場所にいつまでもぬくぬくと蹲っていたい。息すらもせず、化石のように。

 

など、ドロドロと考えて時間を喰う。

相変わらず暗い部屋。

とか何とか綴っていたら存在しない脾臓の痛みが引いてきた。

今日はもう何もせず、このまま眠ろうと思う。

病か薬か

恋は病とはよく言う。

誰が言い始めたのかは知らないが本当にその通りだと、恋をした時に知る事ができる。

恋は恐ろしい。

 

ずっと好きな人が欲しかった。恋バナを聞く側の人間でいた。2回好きな人ができたりもしたけど、単なる興味に近かったのかも。大学生になって余計に難しさは加速した。

 

そして今に至ったりする。

よく好きな人欲しい、、と言っていたのでいざ出来たら、周りに「私全然好きな人できなくて、、どうやったらできる?」と相談される頻度が増えた。

ずっと私もそう思っていた。同じような人が何億もいる中で1人の好きな人を見つけるなんて無理だろうと。そもそも人間より熊とかヘラジカとかの方が好きだし…とか思っていた。

 

ただ唐突に病にかかっていたことに気づく事がある。

DMやLINEの通知だけで、一瞬息が止まってしまったり、その返信に無駄に時間かけて悩んだり。

人を誘う事ができない自分が自らご飯に誘ってみたり。そんな慣れないことして失敗したり。

その人が心を占める割合が増えただけで、ここ数ヶ月ずっと病み期など縁遠い物だったし、何故か体調も良くなるし、通っていた精神科医に褒められるし。

その人に関する少しのことで一喜一憂するものの、前みたいに辛く苦しくなる事はない。

病ではなく、薬である。そう言いたい。

 

好きなところは、ご飯を一緒に食べると美味しく感じるところ。本当に仲良くなった人じゃないと、緊張で味がしなくなるはずの私が。なんだか初めて一緒に食べた時から美味しく感じた。