鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
最近どうもこの諺がチラついては私をイライラさせる。
鳴くことも光ることもできない人間が1番哀れだとそう捉えてしまう、捻じ曲がった偏屈な人間の書く散文。
どれだけ努力しようが、相手に気づかれなければ、至極当然その努力は無意味と化す。
簡単に言えば、人に慣れていて、他人に近づくことが出来、話すことが出来る人間がまあ人目により多くつくわけで、そう言う人がモテるわけで。
そういう人を世間的にも、私個人も「軽い人」と銘うつ。
そこには、そんな人の方が恋愛はうまくいくし、生物として優れているのかもしれないという、自分を落ち着かせるための半透明な偽善、
それと、どうか軽い人同士でくっついてくれという鉛色の嫌悪を含んだ嫉妬があったりする。
つい最近まで片思いしていた。2年くらい。そんなんでも終わりは案外あっさりだった。
振られたわけでも、相手に彼女ができたわけでも、好きな人がいたというわけでもない。
詳しく書くのもだるい。私からしたらそれなりの理由があってそんな簡単にやーめたってわけじゃないけど、後には引いてない。
多分好きだったことは一生相手には言わない。仲良い友達が丁度いいなって気づけて良かった。
鳴かずとも身なんか焦がすか。
こんだけだらだらと駄文を打っているが要するには好きな人が欲しいねの一文で終われる。