夏と冬の日記

日記とか諸々の毒吐き。

3日間書いて消してを繰り返して出来た文章は汚い

私の祖母は本当に本当に厳格な人で、2人で住んだ6歳までの期間は壮絶なものだった。

テレビも歌詞のある音楽も勝手に喋るのも禁止。人に借りを作ったり、助けを求めたりするのは私がやってはいけないことだと育てられた。


まあ私の生い立ちはとても聞いて気持ちのいい話ではないので端折ろう。


大学に入って2ヶ月が経った頃祖母から電話が。

祖母は「あなたに一人暮らしは無理だ。退学して戻って私のとこで働きなさい。」と仰った。

その時生まれて初めて反抗心が湧き、そのままの勢いでNMの部室へ。はじめましての栫井さんがご飯を奢ってくれて、白木原と3人で食べた。なんやかんやあって気づいたら髪の毛ブリーチしてYAMAHAのBBを弾いていた。

 

初めてのことばかりで本当に楽しかった。ずっと部活禁止だったから先輩、後輩ができるのも初めてだった。高校3年生まで、門限が夏は18時冬は17時だった私が、深夜も深夜に部室に行くなんて。

初めての夜練の帰り道、自転車に乗って見る星空がこの世のものとは思えない程綺麗で、1人遠回りして帰った。


世の中のことを知らない私は変な人だと思われるのが1番怖かった。

ただ入部したNMは変な人だらけ。そしてなんだか暖かかった。

大学1年の春にまあ色々とあって男性恐怖症になり、家でも病院でも学校でも吐くような生活を送ったが、何故か軽音サークルの人は平気だった。

 

辛い時には話を聞いてくれる人がいて、自分のコンプレックスを褒めてくれる人がいて、下手な話で笑ってくれる人も、雷が鳴った時に急いで連絡してくれる人もいる。隠し通そうと思っていたのに思いがけず吐いてしまった錘を、受け止めてくれる人が絶対にいることを21歳にして知った。

そういう相手に歳や性別や立場なんて関係ないことも。

 

生きていちゃいけない子だと言われていた私がこんなにも生きれている。

生かされている。

 

何の根拠もなく大丈夫がそこにあって、悲しくない涙が流せることも知った。

 

あの6月の数秒の反抗心が私の人生を大きく変えてくれた。

軽音サークルなんてものに入ってよかった。

 

 

 

追記:

後輩へ

本当に可愛くて良い子しかいなくて幸せでした。ダメダメな先輩なのに懲りずに話しかけてくれてありがとう。

全員1人残らず大好きです。

憧れてますって言ってくれた時、照れて塩対応したけど、帰って泣きました。

老害って言われない程度にみんなのステージ見にいくね。かっこいい姿もっともっと見せてね!

あと一年生には隠していましたが、お酒飲むの割と好きなので、誘ってくださると嬉しいです。

 

先輩へ

一年生の頃から沢山組んでくださってありがとうございました。

楽器でも人としても追いつけないです。全部がかっこいいです。

特に一個上の先輩方は本当に仲良くしてくださって、引退した時に自分もサークル辞めるって言ってたんですけど、今では続けてよかったと思えています。

先輩方も1人残らず大好きです。

 

同期へ

私に世の中が楽しいと教えてくれてありがとう。

笑わせてくれたり、旅行に誘ってくれたり、髪色変えた時は私よりもはしゃいでくれたり、くだらない話で朝まで一緒に過ごしたり。

貰ったものばかりで何一つ返せていないのが悔やまれます。こんな人間の名前を呼んでくれて、友達だって言ってくれてありがとう。

恥ずかしいのであまり言えませんでしたが、本当に本当に大好きです。